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東京地方裁判所 平成元年(ワ)5511号 判決

原告

赤城栄

右訴訟代理人弁護士

渡辺良夫

水野邦夫

小野寺昭夫

被告

財団法人河野臨牀医学研究所

右代表者理事

河野稔

被告

河野稔

被告両名訴訟代理人弁護士

平沼高明

堀井敬一

西内岳

木ノ元直樹

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金八三九五万七八二一円及びこれに対する平成元年五月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告に対し、各自金一億一〇一六万四一二八円及びこれに対する平成元年五月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告が被告財団法人河野臨牀医学研究所(以下「被告法人」という。)の開設する病院において、腰椎椎間板の神経根が圧迫されているとの診断で、被告河野稔(以下「被告河野」という。)の執刀により圧迫除去のための手術を受けたところ、手術部位の神経(馬尾)に癒着が生じ、それを改善するために第二、第三の手術を受けたことにより、かえって症状を悪化させ、最終的に下半身不随になったとして、被告法人に対しては診療契約上の債務不履行又は不法行為(使用者責任)を、被告河野に対しては不法行為を、それぞれ原因として損害賠償を請求した事件である。

二  争いのない事実

1  当事者

(一) 原告は、クリーニング店に勤務していた昭和二三年五月一八日生まれの男性である。

(二) 被告法人は第一ないし第三北品川病院を経営していた財団法人であり、被告河野は、被告法人の理事で当時第三北品川病院(以下「被告病院」という。)の院長であった。

2  原告は、昭和五七年一〇月二一日、勤務先のクリーニング店で作業中、腰部に激痛を感じたため、被告病院整形外科を受診し、腰椎椎間板損傷と診断され、同月二六日、被告病院に入院した。その際、原告と被告法人との間で、原告の右病状の原因を的確に診断し、その症状等に応じた適切な治療を行うことを内容とする診療契約(以下「本件診療契約」という)が締結された。

3  原告は、入院後牽引療法などを受けたが痛みが引かないため、造影剤注入によるX線写真撮影(ミエログラフィー)をしてもらった上、被告河野の勧めに従い、手術を受けることにした。

4(一)  同年一二月一七日、被告河野の執刀により、手術(以下「第一回手術」という。)が行われた。被告河野は、原告代理人に対し、第一回手術はミエログラフィーの結果、第四、五腰椎椎間板の右側の神経根が何らかの原因により圧迫されていることが判明したため、右圧迫を除去することを目的としてファセトラミネクトミーによって行われたものであると説明した。

(二)  第一回手術終了後、原告には足のしびれ感が残存し(ただし、被告らは足の指に少ししびれがある程度のものであると主張している。)、昭和五八年二月九日にいったん退院した後、同年八月五日にミエログラフィーを実施したところ、造影剤が下に下がらない状態になっていることが判明した。そこで、原告は同年九月二日に被告病院に再入院し、被告河野の勧めに従い、再度手術を受けることを決め、右手術(以下「第二回手術」という。)は、再び被告河野の執刀により、同年九月三〇日に行われた。被告河野は、原告代理人に対し、第二回手術は、ミエログラフィーの結果認められた馬尾神経部の癒着剥離を目的とした限局性癒着性神経剥離術であると説明した。

(三)  第二回手術終了後、原告は自力で排泄することが極めて困難な状態となってしまった。原告は、再度ミエログラフィーを実施された後、被告病院の医師から、神経剥離手術をする必要がある旨告げられた。この勧めに従い、昭和五九年三月三〇日に、被告河野の執刀により手術(以下「第三回手術」という。)が行われた。被告河野は、原告代理人に対し、第三回手術は、限局性癒着性脊髄膜炎による神経剥離を目的とした限局性癒着性神経剥離術であると説明した。

5  原告は、昭和六〇年三月二九日、被告病院を退院した。

6  原告は、平成六年八月末までに労働者災害補償保険(以下「労災」という。)の年金として金一四六八万一七〇〇円の支給を受けている。

三  争点(原告の主張)

1  責任原因

原告は、次のような被告河野の診療行為における注意義務違反があり、それにより原告の下半身麻痺の状態が生じたもので、被告法人は債務不履行又は不法行為(使用者責任)により、被告河野は不法行為により、それぞれ責任があると主張する。

(一) 必要のない第一回手術を実施したこと

被告河野は、手術によって除去を必要とする椎間板ヘルニアが原告にあったかどうか疑わしく、そもそも手術をする必要がなかったのに、判断を誤り第一回手術を実施した。

(二) 第一回手術で、手術法の選択及び操作を誤り馬尾の癒着を生じさせたこと

執刀医は、予め必要な検査を行って、より安全な手術方法を選択するとともに、神経等に損傷を与えるなどして馬尾の癒着を生じさせないよう十分な注意をして手術器具を操作し、手術を施行すべき義務を負っていたのに、被告河野はこれを怠り、十分かつ精確なラセギュー検査を実施せず、そのためより安全な手術であるラブ法を選択しないで、安易に危険かつ困難なファセトラミネクトミーによる手術を選択した上、第五椎弓の固定を十分しなかったため、第五椎体レベルでの馬尾の癒着を生じさせた。

(三) 十分な検討なく危険な神経剥離術(第二、三回手術)を行ったこと

馬尾の癒着については神経剥離術の適応はほとんどないとされているからその手術適応性について慎重に判断すべきであり、第二回手術においてもこれを施行すべきではなかったし、まして、第二回手術において改善が見られなかった以上、第三回手術においてこれを繰り返し行うことは全く適応がなかったのに、被告河野は右の注意を怠り、安易に第二、三回手術を実施したため、かえって神経障害を悪化させた。

(四) 第二、三回手術で操作を誤り神経障害を増大させたこと

神経剥離術には右(三)記載のような危険があるから、執刀医は、手術の実施については手術器具の操作等に十分注意し、新たな神経癒着を生じないような手術を施行すべき義務を負っていたのに、被告河野はこれを怠り、顕微鏡や拡大鏡を使用しないで手術し、手術操作を誤った結果、かえって原告の神経障害を悪化させた。

(五) 説明義務違反

本件第一ないし第三の各手術は危険を有するものであったから、本件各手術に先立って、原告が手術を受けるか否かを自由にかつ真摯に選択できるよう、医師は手術の内容、手術による悪化の可能性について説明すべき義務があったのに、被告河野はこれを怠り、満足な説明を行わず原告から自由かつ真摯な選択をする機会を奪った。

2  損害

原告の主張する損害は次のとおりである。

(一) 付添看護費

二三五万九〇〇〇円

(二) 入院雑費

六五万六〇〇〇円

(三) 通院交通費

八万四〇〇〇円

(四) 症状固定後の器具等購入費

五四六万三二六四円

(五) 後遺症逸失利益

五六六〇万一八六四円

(六) 慰謝料 三五〇〇万円

(七) 弁護士費用 一〇〇〇万円

合計一億一〇一六万四一二八円

四  争点1に対する被告らの主張

1  昭和五七年一一月二〇日に撮影したミエログラフィーの結果が原告の病歴と臨床症状とに一致したから、被告河野は同月二四日、第四、五腰椎椎間板ヘルニアが腰痛の原因と確定診断したものであり、第一回手術時にヘルニアによる神経根の圧迫を確認している。そして、入院後約一箇月の保存的療法によっても症状の十分な緩解が認められないことから、クリーニング業を行うという社会生活に復帰困難と考えたので、第一回手術を適応と判断したものである。

2  第一回手術は成功している。被告河野らは第一北品川病院(診療科目、成形外科、外科)(以下「第一病院」という。)への転院を強く勧めたにもかかわらず、原告はそれを拒絶して昭和五八年二月九日に退院していったのであるが、退院までの原告の経過は、術後の回復も比較的順調に推移し、退院直前には手術前と比較して明らかに症状の改善が認められる。

3  第二回目の手術をしなければならなくなった原因たる馬尾の癒着は外傷性髄膜炎によるものと考えられるが、その直接の原因は、原告が昭和五八年三月ころバスに乗っていてガクッとした衝撃を受けたことにあると推測され、被告らに責任はない。

4  第二回手術前、昭和五八年八月五日に行ったミエログラフィーの結果、馬尾に比較的高度な癒着が認められ、その癒着が原告の症状の原因となっていると判断されたこと、右ミエログラフィー前後を通じて保存的療法によって症状の改善は認められなかったことから手術適応があると判断したものである。神経剥離術の効果については、かならずしも医学的に一致した評価がされているとはいえないが、これを認める論文もあり、臨床経験上も有効な場合がある。

5  神経剥離術においては第二、三回手術とも慎重かつ愛護的にガラス棒を用いて癒着の認められる神経の剥離を行っており、十分注意を払って手術している。

6  原告に対する各手術前の説明については、第一回手術前に「診断は腰椎椎間板損傷でミエログラフィーの結果第四、五腰椎椎間板の右側の神経根がヘルニアによって圧迫されている。症状がなかなか改善しないようならば手術がよいでしょう。しかし家族とよく相談して決めてほしい。」と話している。第二回手術前には「ミエログラフィーの結果、馬尾神経の癒着が考えられ、特に下肢のシビレ感が変わらなければ、馬尾神経の剥離術を行うことも一方法である。しかし術後成績に余り期待を待たれても(困るが)。」というように説明している。第三回手術前には、「ミエログラフィーの結果、神経癒着が認められるので本人が希望すれば、もう一度手術を行ってもよいが、期待はあまり待てない。」と話した。いずれの手術も事前に説明した上、原告の意思を確認して行っており、説明義務違反はない。

第三  争点に対する判断

一  原告の治療の経過について、争いのない事実と証拠(〈書証番号略〉、証人瀬山清貴、被告河野本人兼被告法人代表者、原告本人、鑑定の結果)により認められる事実は、次のとおりである。

1  原告は、昭和五七年一〇月二二日、被告病院の整形外科に腰部の痛みを訴えて来院した。被告病院の初診時の所見では、ラセギュー徴候が右足、左足とも四五度と陽性であり、母趾伸筋筋力が両方とも弱いと認められた。原告は、同月二五日再び来院した際、入院を勧められ、同月二六日に入院した。同月二七日から牽引療法を開始し、その他保存療法を行ったが症状が改善されないため、同年一一月二〇日、ミエログラフィーを行った。一一月二四日のカルテに「右のL4〜5の根欠損か?」との記載があり、右ミエログラフィーの結果、ヘルニアによって第四、五腰椎椎間板の右側の神経根が圧迫されていることが疑われた。

同年一二月四日の被告病院での臨床会議(クリニカルカンファレンス)で右ミエログラフィーの結果を検討した上で手術を原告に勧めることになり、再度同月一〇、一一日に臨床会議を行って手術をすることを決定し、同月一七日、第一回手術が行われた。右手術は、第四、五腰椎椎間板の右側の神経根の圧迫を除去することを目的として、術式ファセトラミネクトミー(骨形成的椎弓切除術)、被告河野執刀により、瀬山医師を助手として、午前一〇時二〇分から一一時三五分まで行われた。第一回手術では第五椎弓がいったん切除され、還納された。

右手術後、原告はしびれ感を訴え続けていたが、症状は全体としては改善され、昭和五八年二月七日に被告側が原告に対し、リハビリのため第一病院への転院を勧めたが、原告はこれを拒絶し、同月九日に退院した。

2  退院後、同年二月一二日に原告は初めて通院したが、その時、両足の足趾が少ししびれていると訴えた。以後外来通院し、同月一四日、二二日、三月二日、同月九日にもしびれ感を訴えた。三月一六日の外来のカルテには「右足全体知覚鈍麻あり。手術前より昂進した。腰痛はない。右大腿から足まで張っている。腫脹あり。退院後、だんだん悪くなっているような気がする」という記載がある。五月二三日のカルテにも右下肢外側から足底しびれがあり、右足を引きずって歩く旨の記載があり、原告は歩行困難な状況になってしまった。

その結果、原告は同年八月四日検査目的で入院し、同月五日にミエログラフィーを行った(同月七日に退院)。翌六日に臨床会議が行われ、右ミエログラフィーの結果、第五腰椎と第一仙椎の間で圧排していることが認められ、被告河野らは、椎弓切除後戻した骨が完全に癒合していないため、外傷性脊髄膜炎を起こしていると疑った。

同年九月二日、原告が被告病院に再入院し、同月三日にまたミエログラフィーを行った。右ミエログラフィーでも第五椎弓の真ん中辺りで造影剤が下にいかなくなっており馬尾の癒着が認められた。その結果同月三〇日に第二回手術が行われた。右手術は、馬尾の癒着剥離を目的として、術式神経剥離術、被告河野の執刀により、瀬山医師を助手として午前一〇時一〇分から一一時四〇分まで行われた。その際、第五椎弓はぐらぐらしており、簡単にとれ、第一回手術で還納された後、癒合していなかったことが判明した。

3  第二回手術後、原告には排尿障害、排便障害が続き、一一月四日、いったん排尿可能となったが、排尿時痛、残尿感は残った。一一月一八日のころのカルテによれば踵のしびれがとれ手術前より良くなっている旨の記載があり、いったんは症状が良くなっている。しかし、その後原告は、一二月三日に床屋に行って両足がパンパンになったと訴え、昭和五九年一月一四日にはトイレに行って力を入れると両下肢にビリビリくると訴えるようになり、排尿時痛、排尿障害が一月中旬から憎悪していった。

そこで、同年二月一八日、ミエログラフィーを行った。その結果癒着がもっとひどくなっていることが認められた。同月二五日のカルテにはリハビリが効果がない旨の記載が見られる。

同年三月三〇日、第三回手術が行われた。右手術は、馬尾の癒着剥離を目的として、術式神経剥離術、被告河野の執刀により、瀬山医師を助手として、午前一〇時〇分から午後〇時一〇分まで行われた。神経の癒着の程度は第二回手術と比べるとかなり癒着しており、団子のようにくっつきあっていた。

看護記録に、手術直後の三〇日午後二時には、「左下肢運動不可能」、翌三一日には「両下肢運動不能、右膝関節部極軽度屈曲出来るのみ、足趾運動全くなし」と記載され、以後原告の排尿障害、両足の運動障害は改善されず、昭和六〇年三月二九日に退院し、現在に至るまで両下肢麻痺による下半身付随状態にある。

二  前項で認定した各事実を前提として本件の争点1について判断する。

1  第一回手術の適応について

ファセトラミネクトミーは、ラブ法に比較するとはるかに難しく、危険も伴う手術であり、当時あまり行われないものであったと認められる(被告河野本人兼被告法人代表者、証人瀬山)。しかし、鑑定の結果によれば、原告の臨床経過とミエログラム(〈書証番号略〉)の所見から、原告の第一回手術前の病態が椎間板ヘルニアによるものであるならば、ファセトラミネクトミーが唯一の適応かどうか異論はあるものの、右術式を含めて手術の適応はあると認められる。そして、原告の第一回手術前の病態については、腰椎椎間板ヘルニアのほかに、脊髄レベルでの他の異常、例えば脊髄の炎症、腫瘍、血管障害などが一応考えられる(鑑定の結果、証人森健躬)。しかし、〈書証番号略〉によれば平成六年四月二七日に実施したMRIの検査で、第九胸椎から第三腰椎のレベルに明らかな異常所見を認めずとの診断されていることが認められ、これによれば、右の他の脊髄疾患の可能性はないものと認めることができる(証人森)。したがって、原告の第一回手術前の病態の原因は、腰椎椎間板ヘルニアによるものと認めるのが相当である。

そうすると、第一回手術の適応自体を否定することはできない。

2  第一回手術とその後の原告の障害について

第一回手術においては、第五椎弓が切除されているが、通常、第四、五腰椎椎間板ヘルニア摘出では第四椎弓を切除するものであり(〈書証番号略〉、鑑定の結果、証人森)、本件の施術は明らかな誤りであるというべきである。しかし、ヘルニアがどのレベルに存在したかは本件証拠上明らかではなく、原告の第一回手術後の症状は一時的に軽快しているのであり、鑑定の結果によれば、第四椎弓と第五椎弓とで還納後の椎弓の安定度に差異は見られないとされており、その他右誤りが原告の症状の悪化をもたらしたとする根拠はない。

次に、原告は昭和五八年五月以降歩行障害を生じているが、その原因は、前判示のとおり、第一回手術前には腰椎椎間板ヘルニア以外の脊髄疾患はなかったというべきことからすると、第五椎体レベルでの馬尾の癒着にあると認められる(鑑定の結果)。そして、この馬尾の癒着を生じた原因は、他の原因が考え難い以上、第一回手術による神経への刺激によるものと認めるのが相当である。なお、第一回手術で切除され、還納された第五椎弓が癒合していなかったということがこれに関係していると断じ得る証拠はない。

ところで、被告らは、昭和五八年三月に原告がバスに乗っていてガクッとした衝撃を受けたことが馬尾の癒着の原因であると主張するが、証人森の証言によれば、その程度の衝撃では麻痺は進行しないと認められるのであり、これに反する被告河野本人兼被告法人代表者尋問の結果は採用せず、右衝撃は馬尾の癒着の原因ではないというべきである。なお、被告河野本人兼被告法人代表者は、原告が退院したのが早すぎたと供述するが、鑑定の結果によれば術後の安静期間について手術後約一箇月後の臥床の後、昭和五八年一月一八日ギプス固定を施行し、三月二日にコルセット装着に換えている本件では術後管理に特に問題はないと認められる。

前記のとおり、馬尾の癒着の原因は第一回手術による神経の刺激にあるというべきであるが、第一回手術もある程度神経を刺激することは避け難いものである上、手術直後にいったん症状が改善していることからすると、右刺激がそれほど強いものであったとはいえない(鑑定の結果、証人森)から、第一回手術の操作の過誤によって馬尾の癒着を生じさせたものとは断定しがたい。

3  第二回手術について

(一) 前記のとおり、第二回手術前のミエログラフィーの結果、原告には第五椎体レベルでの馬尾の癒着が認められた。鑑定の結果によれば、馬尾の癒着の本体である癒着性クモ膜炎に対する神経剥離術については、昭和四〇年代にこれを有効とする見解が発表され、臨床的にも数多く施行されたが、昭和五八年以前に既に結局効果がなかったとする報告がされていたことが認められ、これによれば、第二回手術の適応には問題とする余地があったといわざるを得ない。しかし、鑑定の結果においては、同時に、かつては馬尾の癒着の治療として、硬膜内の馬尾の神経剥離術が行われており、第二回手術当時、有効性を否定しきれない医師がいても無理からぬこととして、第二回手術の神経剥離術の適応を全面的に否定することは難しいとされている。

(二) 次に、鑑定の結果及び証人森の証言によれば、第二回手術直後から原告の病態の悪化が進行したのは、第二回手術の操作により、神経に過度の物理的刺激が加えられたことが原因であると認められる。右操作につき、被告らは愛護的にしたと主張する。しかし、被告河野は顕微鏡あるいは拡大鏡も使用せずに手術しており(証人瀬山、被告河野本人兼被告法人代表者)、証人森の証言によれば、神経剥離術はかえって神経を傷めるおそれがあるので、手術用顕微鏡を使用して非常に愛護的に剥離をしなければならなかったものと認められるから、被告河野は、医師として必要な注意を怠って第二回手術を行ったものというべきである。

(三)  したがって、第二回手術自体の適応は否定できないものの、第二回手術後の原告の病態の悪化は、第二回手術の操作による物理的刺激が原因であり、これにつき被告河野には過失があったものと認めるのが相当である。

4  第三回手術について

前記のとおり、第三回手術前のミエログラムによると馬尾の癒着は第二回手術の際よりもひどくなっていたものであり、しかも病態の悪化は第二回手術がもたらしたものであったというのである。したがって、第三回手術に際しては、前回の神経剥離のときよりも剥離することが技術的に困難で、神経に対する物理的刺激も一層強くなるために、術後の病態悪化の危険性が高いと予測すべきであり、第三回手術における再剥離術の適応は否定されるものと認められる(鑑定の結果)。そして、第三回手術後の原告の下半身麻痺の原因は前記のとおり、原告に手術前からの脊髄疾患はなかったという以上、被告河野の行った神経剥離術による神経の更なる損傷と認めるのが相当である(鑑定の結果、証人森)。

5  説明義務違反について

原告本人は、ミエログラフィーの結果を示されたこと、第二回手術前に第一回手術で切除して還納した骨が癒合していないので取り去る手術であるとの趣旨の説明を受けたこと、第三回手術前に神経が団子状になっているからそれを剥離する手術であるとの趣旨の説明を受けたことがあるが、各手術前に手術の具体的内容、安静、入院期間の見通し、悪化の可能性の説明は全くされなかったと供述する。被告河野本人兼被告法人代表者は、第一回手術の内容について大きい手術をしましょうという説明をしたが、その危険性については、一般的に飛行機が墜落する確率と同じだというような患者を安心させるような説明しかしていない、第二、三回手術前に原告にどのような説明をしたのか覚えていないと供述している。そして、証人瀬山も第二、三回手術の危険性については余り言わなかったかもしれない、同証人は術後の経過位しか話さなかったように思う旨証言している。これらの証拠を総合すれば、被告河野及び被告病院の医師らの説明は、本件各手術が本件におけるような結果を生ずる危険があったことに照らすと、不十分なものであり、特に第二、三回手術の危険性、症状回復の可能性についての説明が十分されていないといわざるを得ない。

6  以上のとおり、第二回手術後の神経症状、排尿障害等の病態の悪化、第三回手術後の原告の下半身不随は、被告河野の実施した神経剥離術による神経損傷が原因であり、それらについて被告河野には過失があったと認められる上、原告に対する被告河野、被告病院の医師らの説明義務違反も認められるのであるから、原告に対し、被告法人は債務不履行ないし不法行為(使用者責任)に基づき、被告河野は不法行為に基づき、それぞれこれらによって生じた損害を賠償すべき責任を負う。

三  損害について

1  前記説明義務違反と相当因果関係のある損害の範囲については、検討すべき問題があるが、本件においては、少なくとも第二、三回手術についての十分な説明が行われておれば、原告がこれらの手術を回避した可能性は十分にあったものと認められる上、第二、三回手術の施行により生じた損害に吸収されるものであるというべきであるから、右損害の範囲については独立にとり上げて検討することを要しない。

なお、第一回手術については、その適応が認められ、操作上の過誤は認められないというのであり、説明義務を尽くしておれば手術を回避したものとも認め難い。したがって、右説明義務違反による損害は慰謝料として考慮するのが適当である。

2  付添看護費

四〇万一八〇〇円

(一) 入院付添費

四〇万一八〇〇円

原告は、第一回手術の翌日である昭和五七年一二月一八日から昭和五八年二月九日まで及び同年八月五日から同六〇年三月二八日までの合計六五六日につき一日当たり三五〇〇円の割合で計算した入院付添費を請求している。原告本人尋問の結果によれば、被告病院は看護婦のほかに付添婦もつける病院であり、原告は第一回手術及び第二回手術は歩けるようになるまで、第三回手術以降は歩けない状態だったので退院間際までずっと、入院中家政婦会から派遣された付添婦をつけていたこと、うち二割が本人負担であり、八割は労災の給付がされたことが認められる。このうち入院期間については、第二回手術のための入院日である昭和五八年九月二日以降の五七四日間についてのみ因果関係のある損害というべきである。したがって、一日当たり三五〇〇円の割合で五七四日間の二〇〇万〇九〇〇円の付添費の二割に当たる四〇万一八〇〇円が損害と認められる。

(二) 近親者による通院付添費として、原告は昭和五八年二月一二日から同年八月三日までの間における通院日数四二日につき、一日当たり一五〇〇円の割合で計算した六万三〇〇〇円を請求しているが、証拠上、近親者の付添いのもとに通院した事実は認められないので、通院付添費については認めることはできない。

3  入院雑費 五七万四〇〇〇円

原告は一日当たり一〇〇〇円の六五六日分の入院雑費を請求しているが、前記1(一)記載のとおり算定期間としては昭和五八年九月二日以降の五七四日分の五七万四〇〇〇円が因果関係のある損害と認められる。

4  通院交通費

原告の自宅から被告病院までの往復タクシー代金として二〇〇〇円四二回分八万四〇〇〇円を請求しているが、原告本人尋問の結果によればタクシーで通院したのは第一回手術後に退院してからの一週間くらいというのであるから、これを損害と認めることはできない。

5  症状固定後の器具等購入費

二〇六万一八五七円

原告は、後遺症固定時の昭和六〇年を基準として、昭和六〇年簡易生命表による平均余命40.46年間において原告が後遺症により購入せざるを得ない器具等購入費について、年五パーセントの中間利息をライプニッツ計算法(四一年間のライプニッツ係数17.2943)により控除した金額を請求する。

(一) スポーツ用車椅子

四七万〇七八五円

原告は一台一三万円で耐用年数二年として前記計算法により計算した合計一一二万四一二九円を請求する。原告本人尋問の結果によれば、本来生活用の車椅子は労災が適用されて、四年間に一台、無料で作ってもらえるところ、スポーツをすることで膀胱内を洗浄してきれいにしたほうが健康のためにもよいと医師に言われたため、スポーツ(テニス)用の車椅子を購入していること、〈書証番号略〉によれば昭和六〇年一二月二六日テニス用車椅子を注文した後、耐用年数が過ぎて平成二年四月一九日に再度注文していること、昭和六〇年当時の一台の価格は一〇万八八九〇円であったことが認められる。したがって、耐用年数は四年間と考えるのが相当であり、一年当たり二万七二二二円として計算し、四七万〇七八五円が相当と認められる。

(二) 車椅子用マット、背当て購入費として原告は計五五万三四一七円を請求するが、原告本人尋問の結果によれば、これは労災が適用され自費で購入していないことが認められるので、損害として認められない。

(三) カテーテルについても(二)と同様に労災の適用があることが認められるので、この購入費用は損害として認められない。

(四) バルーン

七八万八六二〇円

〈書証番号略〉によればシリコンバルーンの単価は一九〇〇円であり、原告本人尋問の結果によれば、一箇月に二本くらい使用することが認められるので、それを基準として一年当たり四万五六〇〇円として計算し、計七八万八六二〇円が損害と認められる。

(五) 氷けい 一二万九七〇七円

原告本人尋問の結果によれば氷けいは一週間に一回くらいの割合で使用することが認められ、弁論の全趣旨によれば一本金一二五円を一箇月五本、一年間六〇本使用する割合で、一年当たり七五〇〇円として計算した一二万九七〇七円という原告請求額は相当であると認められる。

(六) ガラス両ツナギ

八万六四七一円

原告本人尋問の結果によれば、ガラス両ツナギは一週間に二回くらいの割合で使用することが認められ、〈書証番号略〉によれば、一本五〇円を一年間に一〇〇本使用する割合で一年当たり五〇〇〇円として計算した八万六四七一円という原告請求額は相当であると認められる。

(七) 逆流防止弁

四万八四二四円

原告本人尋問の結果によれば、逆流防止弁は一週間に一回くらい使用することが認められるが、単価については〈書証番号略〉によれば七〇円であるので、一枚七〇円を一年間に原告主張の四〇枚使用する割合で一年間二八〇〇円として計算した四万八四二四円が損害と認められる。

(八) ゴム管 五万一八八二円

原告本人尋問の結果によれば、ゴム管については一回二〇センチメートルくらい、一週間に一回くらいの割合で使用することが認められ、甲第一八号証によれば五メートル当たり一五〇〇円の金額であることが認められるので、一メートル当たり三〇〇円、一年間一〇メートル使用する割合で一年当たり三〇〇〇円として五万一八八二円という原告請求額は相当であると認められる。

(九) バルーンツナギ

三万四五八八円

原告本人尋問の結果によれば、バルーンツナギは一週間に一回くらいの割合で使用することが認められ、〈書証番号略〉によれば単価が五〇円であるので、一個五〇円を一年間に四〇個使用する割合で、一年当たり二〇〇〇円として計算した三万四五八八円という原告請求額は相当であると認められる。

(一〇) 洋式トイレクッション

一七万二九四三円

〈書証番号略〉によれば、洋式トイレクッションの単価は一万円であり、その使用頻度については原告本人尋問の結果によれば、一年に一回の割合で使用すると認められるのであるから、一個一万円を一年間に一個使用する割合で、一年当たり一万円として計算した一七万二九四三円が損害と認められる。

(一一) 手袋 一四万八七三〇円

原告本人尋問の結果によれば、ディスポプラ手袋は平均一日一枚くらい使用し、手術用滅菌済手袋は外出時に使用するので年六、七回使用すると認められ、〈書証番号略〉によれば、前者は一枚二〇円、後者は単価約二〇〇円であると認められる。したがって、前者が一年当たり七三〇〇円、後者が一年当たり一三〇〇円として合計八六〇〇円として計算した一四万八七三〇円が損害と認められる。

(一二) 横シーツ

一二万九七〇七円

〈書証番号略〉によれば、横シーツの単価は五〇〇〇円であると認められるが、その使用頻度は原告本人尋問の結果によれば、一年に一、二枚というのであるから、一枚五〇〇〇円を一年間に1.5枚使用する割合で、一年当たり七五〇〇円として計算した一二万九七〇七円が損害と認められる。

(一三) オシメについては退院後二、三年は使用していたが、その後は使用していないことが認められ、右二、三年の間の使用数、単価の立証もないので、損害とは認められない。

(一四) サラシについてもオシメと同様の理由で損害とは認められない。

以上のとおり、症状固定後の器具等購入費としては(一)、(四)ないし(一二)の合計二〇六万一八五七円が損害として相当と認められる。

6  後遺症逸失利益

五六六〇万一八六四円

原告は第二、三回手術の結果、下半身不随の障害により、労働能力を一〇〇パーセント喪失したと認められ、後遺症固定当時、満三六歳であり、賃金センサス昭和六〇年第一巻第一表産業計全労働者の平均年収三六三万円を、稼動可能な満六七歳まで三一年間得ることができたと推定される。これをライプニッツ式計算法(三一年間のライプニッツ係数、15.5928)により中間利息を控除して計算すると五六六〇万一八六四円となるので、原告請求額が相当と認められる。

7  慰謝料 三〇〇〇万円

原告の受けた損害についての慰謝料は前記諸事情を考慮すれば、三〇〇〇万円を相当と認める。

8  弁護士費用 九〇〇万円

前記諸事情及び原告請求額を考慮すると、被告らが負担すべき弁護士費用は九〇〇万円を相当と認める。

9  原告の被った損害は、以上合計九八六三万九五二一円と認められるが、原告が平成六年八月末までに労災給付金として一四六八万一七〇〇円の年金給付を受けたことは当事者間に争いがないのであるから、原告の前記逸失利益のうち右給付分の損害の填補が認められ、逸失利益は結局これを差し引いた四一九二万〇一六四円となる。したがって、被告らに請求し得る損害額の合計は八三九五万七八二一円となり、その限度で原告の請求は理由がある。

(裁判長裁判官大橋寛明 裁判官廣瀬典子 裁判官田中俊次は、出張中につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官大橋寛明)

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